裁判所の判断方法によって患者側の勝訴率が変わる?
前回の続きです。
「医療水準」というものは、現場の医療における注意義務を医学的にではなく医療的に判断するものとして、望ましい判断方法だといえます。しかし、その中身を法律的な考え方に寄せるのか、医療的な考え方に寄せるのかにより、結論が変わってしまう点で、玉虫色の判断方法であるともいえます。
当然、注意義務違反がなかったことを主張する医療機関側としては、医療水準の実践的側面を重視し、医療は実践であるから社会的・地理的な環境から生じる制約も考慮されるべきとの主張がなされます。これを突き詰めれば、医療水準の名のもとに医療界の実体や常識をそのまま裁判の場に受け入れることになります。
ここで、裁判で使われる別の用語として、「医療慣行」というものがあります。
簡単に言えば、その医療機関で良しとされてきている医療行為または診療体制のことです。そして、これから説明する平成8年に出されたある最高裁判決が出るまでの間は、医療慣行に従っていれば注意義務を果たしたものとして、医療機関側の賠償責任を否定する裁判例が比較的多かったといえます。言い換えれば、極めて医療的に「医療水準」を用いて責任の有無を判断していたということです。
では、平成8年の最高裁判決はどのような判断をしたのでしょうか。
ちなみにこの判決以後は、患者さん側の勝訴率が上昇しました。
最高裁(最判H8.1.23)は、医師の注意義務の内容決定を医療側に委ねることなく、法律的な考え方に基づく医療水準論を採ったと評価できます。具体的には、次のように言っています。
「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行なっている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従ったとしても注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」として、医療慣行に従っているだけでは免罪符にはならないことを示しました。
また、本判決は、医師が医薬品を使用するにあたってその添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、従来の慣行に従ったことから医療事故が発生したという事案の経緯について、「これ(添付文書の使用方法)に従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」とも判示しています。
したがって、本判決の評価としては、「医療水準」をどこに設定するかについて、医療界の常識をそのままに受け入れることなく、一般通常人の常識や判断といった要素も組み込むことによりバランスを図ったものであるといえます。
もっとも、本判決は、医療界における多くの合理的な医療慣行を否定したものではなく、医療慣行はなお医療水準の設定に当たっては、重要な資料となりうるものであることは間違いありません。さらに言えば、判示部分を反対解釈すれば、合理的な理由に基づく限り、医療慣行や医師の裁量が当然に認められることになると考えられます。
以上より、医療機関側の責任の有無は、医療水準をどこに設定するかにより変わります。そして、設定のレベルを法律寄りにするか医療寄りにするかは、実際のところ、医療現場の感覚や実情を代理人である弁護士がどこまで説得的に示せるかにかかっているともいえます。
次回は、最近の裁判例を見ながら、医療水準に関する判断の傾向を追ってみたいと思います。
以上
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