事例演習教材30-2
~カルテの信用性について裁判官はどう判断するのか~
【事件番号】 東京地方裁判所判決/平成20年(ワ)第37026号
【判決日付】 平成24年10月25日
【判示事項】 新生児が心疾患により死亡した事案について,カルテの信用性を否定し,解剖所見等に照らせば,実際に聴診を行う,あるいは,真剣に心雑音を聞こうとすれば,大動脈弁狭窄症と診断できたはずであるし,全身症状の悪化を把握し,直ちに専門病院に転送すべきであったなどとして,担当医師の注意義務違反を認めたうえで,原告らの請求を認容した事例
主 文
- 被告は,原告らに対し,それぞれ2940万円及びこれに対する平成19年11月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
- 訴訟費用は,被告の負担とする。
- この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要
本件は,原告らにおいて,その長女である甲野葉子(以下「葉子」という。)が,被告が経営する産科診療所である乙山産婦人科クリニック(以下「本件医院」という。)においてその分娩介助により出生し,生後も診療を受けていたところ,その診療上の過誤により大動脈弁狭窄症を見落とされ,その結果死亡したと主張し,被告に対して債務不履行ないし不法行為による損害賠償請求として,原告らに対し各2940万円及びこれに対する葉子死亡の日である平成19年11月6日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
~中略~
2 争点
(1) 争点1(本件カルテの信用性)
(原告らの主張)
被告医院における葉子のカルテ(乙A3。以下「本件カルテ」という。)のうち,乙山院長作成の8~14頁の記載(9月29日から11月6日欄まで。以下「本件改ざん部分」という。)は,葉子死亡後に(11月6日に乙山院長が警察から連絡を受け葉子の死亡を知った時や平成20年4月25日に証拠保全決定が被告に送達された時に)2回にわたり改ざんされたものである。例えば,現在の本件カルテには,退院診察時や10月29日の1か月健診時に「聴診をしたが異常がなかった」,「全身症状について異常がない」旨の記載が,10月8日時に「母へMT 黄疸は特に異常ないと思われる。黄色強くなるようならTELをください」,11月5日時に「BW3990g(305g↑↑)一般状態は特に異常なしと思われる」との記載があるが,改ざん前のカルテには,このような記載はなかったと考えられる。
このような改ざんの事実は,葉子は乙山院長のみならず,丙川副院長の診察も受けていたにもかかわらず,本件カルテには丙川副院長による記載が一切ないこと,本件改ざん部分の記載ぶりは,ほぼすべての記載が日本語で,ごく例外的にしか略語を利用せず,字体は小さく整然として罫線の行間に収まり,不自然に長文であるなど,乙山院長の原告花子のカルテの記載ぶりと極端なまでに乖離していること,狭いスペースに事後的に無理に挿入して記載したと見られる箇所があること,薬剤処方の記載があるにもかかわらず,レセプト作成担当職員が押捺すべき「薬剤情報提供料」のスタンプや担当職員の個人印が押捺されていないこと,11月5日の葉子の体重は,証拠保全申立書には記載されているが,それ以前には,本件医院には伝えていない情報なのに,その記載がされていること等から明らかである。
(被告の主張)
原告らが主張する本件カルテの改ざんはあり得ない。乙山院長が警察から連絡を受け葉子の死亡を知った時には,そもそも被告が責任を追及される可能性を想定し得ないし,証拠保全決定が被告に送達されてから実際に証拠保全期日が開始されるまでの1時間の間に本件カルテの改ざんを行う時間的余裕はあり得ない。
また,丙川副院長による記載が本件カルテにない点については,葉子入院中は,丙川副院長が診察した際に認めた所見が乙山院長において早朝に診察した際と同様であり,特に異常所見が認められず,記載するべき記載がなかったことによるものであり,1か月健診時については,丙川副院長が診察して体重増加不良の異常を認めたため上級医である乙山院長の診察を仰ぎ,乙山院長が丙川副院長の診察時所見も併せて記載したもので,不自然とは言い難い。 さらに,原告らにおいて本件改ざん部分の記載ぶりが不自然であると主張している点については,日本人医師が日本語でカルテを記載すること,略語を用いずに記載することは改ざんの根拠になり得ないし,同一人が常に同じ大きさの字で記載するという道理はなく,書き始めの位置等の記載位置や記載ぶり,薬剤情報提供料のスタンプ印等がないこと等は改ざんを疑わせる根拠とはなり得ない。11月5日の葉子の体重についての記載は,乙山院長が廊下で原告花子に出会った際の会話を記載したものであり,不自然ではなく,かえって1か月健診時に乙山院長が体重増加不良について注意を払っていたことの証左である。
~中略~
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件カルテの信用性)について
原告らは,本件カルテ(乙A3)の本件改ざん部分は,葉子死亡後に改ざんされたものである旨主張し,被告は,これを否定する。
そこで,検討するに,原告ら主張のとおり,本件改ざん部分は,ほぼすべての記載が日本語で表示され,ごく例外的にしか略語を利用せず(他方,例えば,1か月健診時に,BWという略語を用いた際には,わざわざBW(体重)と付記している。),字体は一般に小さく整然として罫線の行間に収まり,長文の記載もあるなど,乙山院長の原告花子のカルテ(乙A1)の記載ぶり(ドイツ語や略語を中心にごく簡単に記載)と大きく異なっていることは一見して明らかである。被告は,この点につき,日本人医師が日本語でカルテを記載すること,略語を用いずに記載することは改ざんの根拠になり得ないし,同一人が常に同じ大きさの字で記載するという道理はなく,書き始めの位置等の記載位置や記載ぶり等は改ざんを疑わせる根拠とはなり得ないと反論するが,同一人の記載による時期が近接したカルテにつき,基本的な記載ぶりの多くが大きく異なることは不自然というほかなく,しかも問題とされている本件カルテが,多忙な産婦人科医のカルテとして極めて丁寧に判読しやすい字体で比較的詳細に記載されている(一般状況が良好であること,異常がないこと等についても繰り返し記載されている)ことについては違和感を覚えざるを得ない(なお,被告によれば,例えば,本件医院の温度板については,体温の記載があるのみで,心拍数や呼吸数の記載はなく,看護師による身体の診察所見の記載は日々のチェックリストの○印も含め一切ないなど,異常がなければ記載しないとの方針で極めて簡略化されているとのことである。)。また,本件改ざん部分中に,薬剤処方の記載があるにもかかわらず,レセプト作成担当職員が押捺すべき「薬剤情報提供料」のスタンプや担当職員の個人印が押捺されていないことについても,被告は,合理的な説明を尽くしているとは認められない。
なお,被告は,平成19年9月から同20年8月にかけて作成された他の乳児の診療録6例(乙A21ないし26)を証拠として提出し,これらの診療録の記載に比べて本件カルテの記載が不自然にきれいすぎるということはない旨主張する。被告によるこれらの証拠の提出が,原告らにおいて本件カルテの改ざんを明確に主張した平成24年4月3日より後に,被告の最終準備書面(準備書面(12))の提出と同時に行われたこと,2例は,葉子死亡後の平成20年時に作成されたものであること(乙A21,22),3例は入院中に異常が発見され,他の病院に搬送された事例のものであること(乙A21ないし23)はさておくとして,たしかに,上記の事例を除いた3例(乙A24ないし26)を見ると,字体や整然と罫線の行間に収まるように記載する書きぶりについては,本件カルテの記載と異なるものとはいえないが,その他の点については,書きぶりが異なる点も散見される。また,本件カルテ中の1か月健診時の書きぶりについては,原告ら主張のとおり,その長さ,個別の記載の位置,表現ぶり等,それ自体,不自然な点が多く,上記の他の事例と見比べても,疑問は氷解しない。
次に,本件カルテに丙川副院長による記載が一切ないことについては,それ自体,不可解といわざるを得ないものの,被告が主張するとおり,葉子入院中は,巡回時刻が乙山院長の方が先なので,丙川副院長が診察した際に,特に異常所見が認められなければ,特に記載するべき事柄がないとして何も記載しない取扱となっていたということも一応考えられないわけではない。しかしながら,1か月健診時については,丙川副院長が診察して体重増加不良の異常を認めたというのであるから,当然に丙川副院長による何らかの記載があってしかるべきであり,上級医である乙山院長の診察を仰いだことから,乙山院長が丙川副院長の診察時所見(原告花子から聴取した内容等も含む。)を口頭又は電話で聴取して併せて記載したというのは,当時の状況に照らし,不自然というほかなく,むしろ,仮に乙山院長の診察を仰ぐことにしたのなら,自身が聴取した内容等をカルテに記載したうえで,カルテとともに,保護者である原告花子を付き添わせて葉子を乙山院長の下に送ることが自然といえる〔なお,丙川副院長の陳述(乙A18)及び供述によれば,体重増加不良を認めたので葉子を看護師に2階の病棟まで連れて行ってもらい乙山院長にも診てもらった旨述べるが,そうであれば,なおさらカルテに自身の診察時所見を記載して,これを看護師に委ねるのが自然といえる。この点につき,乙山院長は,その陳述(乙A17)及び供述において,丙川副院長からはチアノーゼなし,心雑音なしとの伝言もしくは報告を受けた旨述べるが,どのようにしてその報告を受けたかについては,何ら具体的にせず,また,「この1か月健診時のカルテの記載をあなたはいつされましたか。」という原告ら代理人の質問に対して,「ベビーを2階に連れてきてもらうときに,一度……。」と言いよどんだ上で,再度,「いつ記載しましたか。」と問われて,「ベビーを診察した後,しました。」と答える(乙山院長の代表者尋問調書24頁以下)など,この間の経緯については一貫してあいまいな供述をしている。そもそも,原告花子は,その陳述(甲A22)及び供述において,1か月健診時,自分と葉子は離れていないし,看護師や丙川副院長が葉子を連れて行った事実はない旨述べており,葉子を乙山院長の下に連れて行った際に,原告花子にどのような説明をし,なぜ同原告を乙山院長の診察の際に同席させなかったのかにつき,被告側は何ら合理的な説明をせず,乙山院長及び丙川副院長も何ら陳述又は供述をしていないことに照らせば,乙山院長が葉子を診察したこと自体,疑義があるといわざるを得ない。ちなみに,原告らが,訴状において,「丙川副院長の1か月健診を受けた。」と記載し,その際の丙川副院長とのやりとり等につき詳述しているのに対して,被告は,やりとりの詳細は別にして,これを認めており(被告準備書面(1)),丙川副院長のみならず乙山院長も1か月健診の際に診察をしたことについては一切触れておらず,このような状態が,平成23年4月26日付の乙山院長の陳述書(乙A17)が,同年5月9日の第17回弁論準備手続において提出されるまで継続していたことは,弁論の全趣旨から明らかである。〕。
また,葉子の母子手帳の1か月健康診査の欄において,「健康・要観察」の選択肢に対して,「健康」に○が付されている(甲A4)のに対して,本件改ざん部分には,「再検査の結果にて,今後の方針決定 カウプ指数より異常なほどの低値でないため。他に,異常なし。2W~3W経過観察する。」との記載があり,同一時に記載されたはずの内容に整合性がない点も看取できる。
さらに,11月5日の欄に「BW3990g(305g↑↑)一般状態は特に異常なしと思われる」と葉子の体重等について記載されている点については,当日,葉子が本件医院の医師の診断を受けたことがないことは争いがなく,被告は,乙山院長が廊下で原告花子に出会った際の会話を記載したものである旨主張する。しかしながら,診察時等であれば,当然,手元にカルテがあるから,その際に聴取した内容を適宜カルテに記載することが可能になるが,医師が廊下で立ち話をした際の会話を,その後,わざわざカルテを取り出させて記載するということは,通常,想定し難いというほかなく,しかも,その際に体重の数値を正確に記載することは,特異な記憶力がない限り困難というほかない。 以上を総合すれば,本件カルテの記載に不自然さを感じるとする複数の医師の指摘(甲B55,61)を待つまでもなく,本件改ざん部分の記載には不自然,不合理な点が多々認められ,いわゆる意図的な改ざんがあったか否かについてはさておくにしても,本件改ざん部分の信用性は極めて乏しいものというべきであり,以下の判断に際して本件改ざん部分に重きを置くことはできない。
~以下省略~
これが、裁判所の判決文そのものです。なかなか読みにくいと感じる方は少なくないと思いますが、比較的そうでもないかなと思われた方も少なくないのではないでしょうか。先入観なく、日本語の文章・読み物として読んでみてください。今回はカルテの信用性の判断についての部分のみ抜粋しております。
Q1カルテの信用性がなぜ大切なのか。
Q2この裁判の判決は、主文請求に同旨とある。このことは何を意味するか。医療訴訟でこのようなことがある確率はどの程度であると考えられるか。
Q3原告は、どのような記載だからカルテに信用性がないという主張をしているのか。プリントアウトしてマーカーを引いたり、自分なりにまとめてみよう。
Q4被告は、原告の主張に対して、どのような反論をしているか。プリントアウトしてマーカーを引いたり、自分なりにまとめてみよう。
Q5裁判所は、原告・被告のどの主張に着目してカルテの信用性がないと言っているのか。
Q6どのようなカルテが信用性が高いものなのかについて具体例を挙げながら検証してみましょう。
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