医療慣行に関する判例を二つ見てみましょう
前回において,平成8年の最高裁判例が,明示的に「医療水準」と「医療慣行」との関係性を論じたことから,その後の患者さん側の勝訴率が上昇したという話をしました。
実は,平成8年よりも前に,同様の趣旨のことを述べていた最高裁判例と最高裁判事である伊藤正巳裁判官の補足意見がありましたので,それらも紹介します。
【最判S36.2.16】
「注意義務の存否は、もともと法的判断によつて決定されるべき事項であつて、仮に所論のような慣行が行われていたとしても、それは唯だ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない」
【最判S63.1.19 補足意見(伊藤正己裁判官)】
「医療水準は、医師の注意義務の基準となるものであるか、平均的医師が現に行なっている医療慣行というべきものとは異なるものであり、専門家としての相応の能力を備えた医師が研鑽義務を尽くし、転医勧告義務をも前提とした場合に達せられるあるべき水準として考えなければならない」
伊藤裁判官の補足意見では,医療水準の確定にあたっては,当該病院の規模,医療機器の充実度,専門医の有無など地域的な問題で,当該患者さんの対応をすることができない場合であっても,適切に他の医療機関に転医させることができるのであれば,そこも考慮すべきという趣旨が表れています。
すなわち,自身の病院では対応できない患者さんを救えなかった場合,仮に転医することができる病院があり,転医させていれば救命可能だったといえる場合には,なお医師は注意義務違反を免れないということになります。
これは,近時の裁判では,患者さん側から出されることの多い主張で,「転医義務違反」と呼ばれるものです。医療水準の中身を当該医療機関だけでなく,転医可能な医療機関も含めた水準として確定する考え方といえます。
では,平成8年以降の裁判所は,医療慣行に対してどのような判断をしているのか,三つの裁判例を見てみましょう。
【福岡地裁H15.10.6】
事案
熱中症で倒れた患者への処置を原因として患者が死亡した事例
被告主張
「被告病院で行われた氷のう法も、体表面冷却法の一つとして現場で一般的に行われている方法である。そして、乙山医師の取り扱った熱中症の症例でも、すべて上記方法によっていたし、それで対処できない症例はなかった。」
「原告らが主張する蒸発法については、教科書的には有効な方法とされていて、現場の各医師も知識としては有している。しかし、医療現場では、各医師は過去の経験や周囲の医師から得た情報等で、自ら適切とする方法を実施するものである。乙山医師が蒸発法を用いた経験がなかったことを考えあわせれば、上記方法を選択しなかったからといって、同医師に過失があったことにはならない。」
*つまり,医療慣行に従ったのだから注意義務違反はないとの主張です。
判旨
「被告病院の行うべき医療水準は医師の注意義務の基準となるものであるから、当該医師が現に行ってきた医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたとは直ちにいうことはできない。」*平成8年判例の規範
「本件では、熱射病は緊急措置が必要であり、直ちに身体の冷却などの処置を開始しなければ器官の不可逆性損傷をきたし死に至ることもあること、素早い体温低下が救命の鍵といえること、クーリング方法としては、その場で施行し得る方法がすべて適応になることは一般の医師の平均的な知識であると考えられるところ、乙山医師も扇風機で風を送る方法やアルコールで全身をふく方法は知っていたこと、上記方法は簡便であり被告病院でも施行可能であり、特別な設備を必要とするわけではないから、冷却を開始して一時間半、被告病院へ搬送後約三時間を経過した七月二八日午後三時三〇分の時点において、冷却効果の出ない氷のう法から蒸発法によるクーリングに変更したり、この蒸発法や冷却した輸液を使用する方法などを追加して冷却の効果が出るような処置をとるのが医療水準であり、乙山医師がこの医療水準に従った医療行為を行ったとは到底いえないというべきである。」
【東京高判H13.9.26】
事案
躁うつ病の患者に、サイレースとヒルナミンを併用投与したことと、その後の経過観察の懈怠により、患者が死亡した事例
判旨
躁うつ病と診断されて医療保護入院した患者に対し、本来は全身麻酔の導入等に使用されるべきサイレースを、患者の鎮静のためという能書きに記載のない用途に、能書きに定められた上限をはるかに超える分量投与し、しかもその薬効を増強させるヒルナミンと併用したという極めて得意で危険な診療行為を実施した本件においては、その担当医師にモニタリング等による頻回の経過観察を行うべき注意義務があり、仮に、本件当時、サイレース投与後30分ないし40分の間隔で経過観察を行う方法が医療慣行となっていたとしても、それは平均的事例における平均的医師が現に行なっていいた医療慣行に過ぎず、これに従っただけでは担当医師は注意義務違反を免れない。
【東京地裁H11.5.31】
事案
ストーマ(人工肛門)を自己管理困難な状態で造設された患者が、財産的・精神的損害の賠償請求をなした事例
判旨
「被告は、S医師の本件手術におけるストーマ造設位置の決定方法は、被告病院において通常とられている方法であり、違法性はない旨主張する。
しかし、医師が医療慣行に従った治療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたとただちにいうことはできない(最高裁平成四年(オ)第二五一号平成八年一月二三日第三小法廷判決・民集五〇巻一号一頁参照)。右のとおり、S医師の右ストーマ造設方法は、本件手術当時の医療水準に照らし採用できない方法であったと認められる以上、それが被告病院の慣行に従ったものであったとしても、そのことにより違法性は否定されないというべきである。
したがって、被告の右主張は理由がない。」
結局,医療機関においては,たとえ医療慣行であっても独善的であってはならず,常に懐疑的に治療方法を検討するという姿勢が求められることになります。そのためには,医療安全委員会等でヒヤリハットや有害事象を定期的に検討し,継続的にチェックを怠らないことが必要となるでしょう。
以上
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