謝罪は裁判で不利な証拠となるか?
医療訴訟において,患者側から,事故発生後の担当医師などの謝罪の事実が主張されることは少なくなく,謝罪したのだからミスがあったという論理が用いられることがあります。もっとも,裁判所は,謝罪の事実だけで,医療機関側にミスがあったと認めることには消極的といえます。なぜなら,謝罪というのは,マイナスの事情がある場合に,仮にその原因が自分にないとしても,つい口をついて出てしまうものであるため,裁判所としても,その謝罪がどのような状況で,どのような趣旨で述べられたものなのかをしっかりと検討しなければならないと思うからです。
東京地判H20.2.20
リンデロンAの点眼を中止したこと等が失明の原因であるとして,患者が損害賠償を請求した事案で,「被告医師はその本人尋問において謝罪したのは不本意であったと述べていることのほか、謝罪の趣旨は明確でなく、診療行為に過失がないとしても、これによって想定外の結果が生じたことについて謝罪する趣旨であったということも当時の状況に照らし、あながち不合理ともいえないから、被告医師がリンデロンAの点眼中止の判断につき謝罪をしたことをもって、被告医師の治療行為に法律上の過失があったことを基礎付けるものとまではいえない。」と判示しています。
東京地判H19.5.31
生命保険加入検査のために採血をされた原告が,担当医師の採血方法や止血処理上の過失により血管損傷による血腫を生じたとして,担当医師を雇用する会社に対して損害賠償を請求した事案で,被告会社が原告に謝罪した事実を認めながらも,「被告会社の担当者は、原告の皮下の出血斑を認めたので、それについて詫びたに過ぎないと述べており、被告会社が、動脈損傷を認めたうえで、その点について謝罪したとの原告の主張は、認めることができない。したがって、上記謝罪の事実から、動脈損傷の事実や、被告会社が、必要以上に静脈を損傷した事実を推認することはできない。」と判示しています。
したがって,つい出てしまった謝罪の言葉一つで,その後の裁判で負けてしまうかというと,必ずしもそうではないというのが実際のところです。もっとも,謝罪のリスクは,勝ち負けだけじゃなく,和解という場面でも表れます(後述)。
謝罪していないことが不利になる?
原告側の主張として,事故後に何らの謝罪もなされていないことを,慰謝料額の増額要因として挙げるものがあります。事故を起こした医療機関の対応が不誠実で,それによっても精神的苦痛を被ったという主張です。この点については,裁判所は,概ね原告の主張を認める傾向にあるといえます(例えば,謝罪がなされていないことを慰謝料の増額要因として考慮した裁判例として,山口地判H27.7.8があります。また,謝罪がないことを慰謝料の増額要因とする原告側の主張に対して,医療機関側から謝罪の事実があった旨の主張・立証を行い,慰謝料の増額を認めなかった裁判例として,仙台地判H26.12.18,東京地判H19.9.20があります。)。したがって,上で述べたように,ミスが明らかである場合には,積極的に謝罪をして,誠意ある対応を心がけるべきです。同時に,謝罪したことを医療機関側で記録しておくことも重要でしょう。
謝罪の本当のリスクとは?
医療訴訟は,その6割が和解によって解決します。和解とは,公開の法廷ではなく,裁判所の中にある個室に入って,裁判官と当事者が話し合いで,その争いを解決するというものです。判決と異なり,和解になると,その内容は一般的に公開されません。したがって,判決の分析だけで,謝罪のリスクを考えることは少し危険です。
そして,おそらく,和解により,医療機関側がある程度の金銭を支払うことになる場合,謝罪があったという事実は,医療機関側にとってかなり不利に働くものとなるでしょう。裁判官といっても,医療の専門家ではないため,医療機関側にミスがあったのかについて正確な判断をすることは難しいです。一方で,謝罪をしているという事実が明らかになっていれば,印象として,医療機関側にミスがあったと考えてしまうのが人間です。大げさではなく,和解においては,裁判官が,謝罪があるという事実を重視してしまい,医療機関側に不利な形で和解を成立させてしまうということも少なくないといえます。
そうすると,やはり,明らかにミスだといえるとき以外の不用意な謝罪は,厳に慎むべきですし,一方で,事故調査の進捗や結果を丁寧に説明する等,患者さんの感情面へのケアを怠ってはなりません。信頼関係をつなぎとめることで,適切な解決が図れる可能性が高まります。
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