注目すべき裁判例
〔福岡高裁平成24年7月12日判決〕
1 事案の概要
Yが経営する病院の看護師Aが,自宅において夫Bに,同病院に入通院していた患者C(Xの娘)の病状・余命やXの経営する飲食店名などを話したが,口止めをしなかったところ,BがXの飲食店に行き,Cの病状や余命などをXに話してしまった。Xは,医師からCの余命などを聞いていなかったため,突然Bからそのような話を聞かされたことにより,不安等を感じるとともに,秘密が漏洩されたことを知り,精神的苦痛を被ったとして,Yに対して慰謝料等を請求しました。
2 争点
- 看護師Aが自宅で夫Bに患者の病状・余命を話した行為について,不法行為が成立するか
- 看護師Aが自宅で夫Bに職務上の秘密を漏洩した行為について,病院を経営するYが使用者責任を負うか
3 裁判所の判断
(1) 争点①について
福岡高裁は,夫婦間の会話で職業上体験した事実が話題になることがあり得ることを認めながらも,患者の余命といった秘匿性の高い情報を,個人が特定できる形で夫Bに漏洩し,そのことが伝播する可能性を認識しながら口止めしなかったことなどを理由に,看護師Aの行為について不法行為の成立を認めました。
(2) 争点②について
福岡高裁は,Aの行為がYの事業の執行についてなされたものであり,かつ,YがAの選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとは認め難いとして,Yの使用者責任を肯定しました。
4 解説
(1) 争点①
医師や看護師は,業務上知り得た他人の秘密を正当な理由なく漏らしてはならないという守秘義務を負っています。この守秘義務に違反した場合,刑事責任が問われたり(刑法134条,保健師助産師看護師法42条の2・44条の3),民事上不法行為責任(民法709条)が問われたりします。本件では,自宅で夫に患者の個人情報を話した看護師の行為について,不法行為が成立するかが問題となりました。
一般的に,家族間で仕事の話をすることはよくあることです。そして,家族であれば守秘義務について理解しているだろうと安易に考えて,職務上知り得た患者の情報を,つい話してしまうことがあります。しかし,患者にしてみれば,治療とは関係ないところで第三者(医療従事者の家族も含む)に自己の情報が漏れれば,プライバシーが侵害されたと思うはずです。特に本件ではCが大変重い病気に罹患しており,そのような病状や余命は個人情報の中で最も秘匿性が高い情報といえるので,プライバシー権の保護や医療従事者に対する信頼性の確保という観点からすれば,医療従事者は自己の家族に対しても話すべきではないです。
なお,本件では,夫Bが看護師Aから患者Cの話を聞いた際に,Cの親Xが経営するお店に行ったことがあると告げているため,BがXのお店に行ってXに話してしまうおそれがありました。福岡高裁は,Aの不法行為を認定する際に,Aが伝播可能性を認識しながらBに口止めをしなかった点も考慮していますが,口止めをしたからといって実効性があるとはいえないので,やはり家族間であっても職務上の秘密を話さないことが重要です。
(2) 争点②
Yの使用者責任が認められるためには,Aの行為がYの事業の執行について行われたものであることを要します。
この点,第1審の大分地裁は,Aが自宅でBに対し患者の病状等を話したことは,夫婦間で私的に行われた行為であり,使用者Yの事業の執行と密接に関連するものとはいえないとして,使用者責任を否定しました。
これに対して,福岡高裁は,Aは,Yの従業員として,職務上知り得た秘密を,勤務時間・勤務場所の内外を問わず漏洩してはならない不作為義務をYに対して負っており,Yもまた,Yの管理する当該秘密が漏洩されることのないよう,被用者たるAに対し,勤務時間・勤務場所の内外を問わず,職務上知り得た秘密を漏洩しないよう監督する義務を負っていることを理由に,Aの行為がYの事業の執行についてなされたものと認めました。
福岡高裁の論理はやや飛躍しているように思えますが,そもそも医療従事者が患者の情報を漏洩するのは勤務時間外・勤務場所外であるのがほとんどであり,かかる行為について病院が使用者責任を負わないとなると,使用者責任を追及できるケースが極めて狭められてしまうという実質的な判断があったのかもしれません。
なお,使用者は,被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたことを立証すれば,使用者責任を免れることができます(民法715条1項ただし書き)。しかし,裁判例においてこの立証が認められたケースはほとんどありません。現に,本件でも,Yは,個人情報管理規程を制定したうえ,職員に対するオリエンテーションを実施して同規程の制定を職員に知らせ,これを各部署に備え置いたり,新人研修においてAに対し個人情報の管理について30分程度指導していたり,Aに「病院で知り得た個人情報の漏洩など守秘義務に違反しないこと。」等を内容とする誓約書を提出させたりしていましたが,前述のとおり福岡高裁はYがAの選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとは認め難いと判示しました。
このように,医師や看護師など医療従事者が職務上知り得た秘密を正当な理由なく漏洩した場合,使用者が民事上の責任を免れることは困難ですので,より徹底した個人情報の管理や漏洩防止対策を実施する必要があるといえます。
以上
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