医療訴訟の実態、看護記録の訴訟での使われ方
看護記録とは日々の看護活動を記録したものであり、日常の看護活動を通じて多くの事実が記載されることになります。昨今の医療従事者の医療過誤訴訟への関心の高まりを考えれば、皆様も看護記録が訴訟の証拠として扱われる可能性があることは認識されていると思います。しかしながら、実際に看護記録が訴訟の場でどのように扱われ、証拠とされるのかについてまで正確に理解されている方は少ないのではないでしょうか。
そこで、今回は、実際に訴訟で看護記録の記載が問題となった事案を取り上げながら、訴訟で看護記録がどのように使われているのかを確認し、看護記録の記載上の注意点を考えてみることにしましょう。
1 看護記録が訴訟の場に登場するまで
そもそも医療機関側が保有する看護記録を始めとする医療記録が訴訟に登場するまでの経緯について簡単にご説明します。
⑴任意開示
まず、患者側が、医療機関側が保有する医療記録等の開示を求める方法としては、患者本人が医療機関に対して医療記録等の任意開示を求める方法があります。裁判所による関与も不要で、手続的・費用的負担も小さく、迅速に医療記録等を入手できる方法です。
しかし、患者側から医療記録等の開示を求めた場合、医療機関に対して責任追及を行う姿勢が伝わることになりますので、医療機関側が医療記録等を改ざん、隠匿することを恐れて、患者側が任意での開示請求を差し控えるケースも多々あります。
⑵証拠保全手続き
そのような場合に利用されるのが、「証拠保全手続き」と呼ばれる法的手続きです。これは医療過誤訴訟等において証拠となる医療記録等が改ざん、隠匿されるおそれがある場合に限って、訴訟前に病院側の保有する医療記録等を探索、確認すること認める手続きです。この手続きが実施された場合、当日に裁判所から本日証拠保全手続きを実施する旨の連絡があり、その後しばらくすると裁判官、患者側の弁護士、カメラマン等が病院、医院を訪問します。そして、医療機関内に保管されている本件と関係すると思われる診療記録、看護記録等の一切の医療記録を探索し、全て写真に収めて帰っていきます。強制的な手続ですので病院側はこれを拒否することはできません。裁判所に手続を申立てる必要があるため、手続的にも費用的にも負担が大きく、時間もかかりますが、医療機関に対する不信感から多く利用されています。
こうして患者側にわたった看護記録を含む医療記録は、患者側でその内容を検討の上、訴訟の場に証拠として提出されることになります。
2 医療過誤訴訟において追及される医療機関の責任とは?
いわゆる医療過誤訴訟において患者が医療機関側に対して損害賠償を求める場合の法律上の構成としては2通りあります。
まず、医療機関は患者と診療契約を締結しておりますので、医療機関側は患者に対して最善の治療行為を行う義務を負っています。しかし、医療機関側の不注意等により最善の治療行為が実施されなかった場合には契約違反として損害賠償責任を負うことになります。このような法的責任を「債務不履行責任」ないし「契約責任」と呼びます。
次に、人が第三者に対して不注意等により他人に危害を加えてしまった場合には損害賠償責任を負うものとされています。分かりやすい例が交通事故です。このような法的責任を「不法行為責任」と呼びます。
医療過誤訴訟においては上記の契約責任または不法行為責任に基づいて医療機関側の法的責任が追及されることになりますが、いずれの構成であっても医師等の医療行為について、①行うべき医療行為が行われていなかったのではないか、②行うべきではない医療行為を行ったのではないかが訴訟の中で争点となる点に変わりはありません。
看護記録等を含む医療記録はこのような争点を明らかにするために訴訟の場に登場し、その記載内容について原告と被告の間で争いになるわけです。
3 医療過誤訴訟における具体的な看護記録の使われ方
それでは、医療過誤訴訟において、看護記録の記載がどのように問題とされるのか、実際の裁判で看護記録の記載が問題となった事案をご紹介します。
⑴憶測に基づく記載が問題となった事案(神戸地裁平成14年4��23日判決)
事案
冠状動脈バイパス術を受けた患者が、その後胸骨の完全離解が認められたことから胸骨再固定術を受けることなったことについて、原告である患者が、当初の冠状動脈バイパス術時の閉胸操作の際に過誤があったと主張して損害賠償を求めた事案。
看護記録等の記載
①看護記録に「開胸手術操作による肋骨、肋骨損傷と思われる」との記載
②看護記録の問題リスト欄に「肋骨切開後の不適切なワイヤー固定」との記載
病院側の主張
①の記載は、胸骨切開に当然に伴う損傷についての記載であり、胸骨の切開部の痛みのことを意味するものに過ぎず、開胸手術操作の際に過誤があったことを示す記載ではない。
②の記載の問題リストとは患者を看護する上において留意すべき諸点を書きだしておくものであって、原告入院時に文献の記載をそのまま転記したものに過ぎず、開胸手術操作の際に過誤があったことを示す記載ではない。
裁判所の判断
①の記載は開胸手術操作の際に過誤があったことを窺わせるものとは言い切れないこと、②の記載は入院時に想定される問題として記載されたものであって、原告の手術後に記載されたものではなく、手術における手技上の誤りを窺わせるものとは言い難い。
ポイント
最終的には病院側の責任は否定されましたが、看護記録に記載された憶測に基づく記載が患者側の不信感を煽り、紛争の原因を招いたことは否定できません。
そのため、看護記録を付ける際には、憶測に基づく記載を行わず、客観的な事実のみを記載することが大切です。本件で患者は「ちょっとしたときに右の胸の骨が痛むね。」と申告していたので、その申告内容をそのまま記載すれば良く、それを超えて看護記録に憶測等を記載することはトラブルの元です。
また、原告は仰臥位をとると胸が左右に開くような異常な感覚を覚える旨訴えていたと訴訟で主張しましたが、原告の術後の訴えが詳細に記載された看護記録には、上記内容の訴えを窺わせる記載がないことから、上記のような原告の訴えはなかったと裁判所は判断しています。
このことから、患者の訴えを適切に看護記録に記載していれば、逆に記載のない訴えはなかったという証拠になります。
⑵不正確な記載が問題となった事案(札幌地裁平成13年12月12日判決)
事案
不妊症治療のために、腹腔鏡検査及び腹腔鏡を使用した癒着剥離手術を受けた患者が、術中に循環・呼吸不全を起こし、低酸素脳症に陥ったことにより死亡したことについて、原告が、午前10時25分頃、動脈血中の酸素飽和濃度が低下したことから、麻酔の担当医は麻酔薬の投薬を中止するべきであったのに、その中止が遅かったという過失があると主張して損害賠償を求めた事案。
看護記録等の記載
看護記録には麻酔の担当医師の来室時刻は午前10時40分と記載されていたが、カルテには麻酔の担当医師の来室時刻は午前10時35分と記載されていた。
裁判所の判断
麻酔記録に午前10時38分頃、麻酔薬、笑気ガスの投与を中止して、酸素による換気を実施したとの記載があること、当該処置は麻酔の担当医師の指示により実施したものと認められることや他の医師の証言内容等から、同医師が来室した時刻は午前10時38分よりも以前の午前10時35分であると認められる。
ポイント
最終的にはカルテの時刻記載が正確であると認められ、医療機関側の責任が否定された事案ですが、看護記録の時刻の記載とカルテ、麻酔記録の時刻の記載に齟齬があったことから患者側に無用な不信感を抱かせ、紛争を激化させた事案といえます。
医療記録は、カルテ、看護記録等の複数の記録が相互に補完し合いながら一体として機能するものですので、各記録の記載に齟齬があっては無用な誤解・不信感を招きかねません。特に、緊急時は一分一秒を争うものですので、時刻の記載は平時に比してより正確性が要求されます。
⑶訪問・観察の記録がないことが問題となった事案(東京地裁平成16年3月31日判決)
事案
てんかん発作により痙攣重責状態にあったため集中治療室で治療を受けていた患者が、某日午前5時に容態が急変し、その場では一命を取り留めたものの後日死亡したことについて、患者の遺族である原告は、患者は常時誰かが付き添って痰を頻繁に吸引しなければ危険な状態であったにもかかわらず、病院側は夜間も原告らが付き添う旨の申し出を拒否し、不十分な頻度の観察しか行わなかった等の過失があると主張して損害賠償を求めた事案。
看護記録等の記載
体温表 午前0時 体温37.6度
看護記録 午前3時、午前4時30分 異常なし。心拍数60で安定。痰吸引を実施。
病院側の主張
看護記録には記載がないが、夜間も痰を引くために30分から1時間おきに訪問していた。
裁判所の認定
看護記録の記載から午前3時、午前4時30分に看護師が患者を観察していたことは認められる。また、看護記録の記載はないが、体温表の記載から午前0時に看護師が患者を観察したことについても認められる。
しかし、その他の訪問については記載がないことから看護師が証言するとおり、夜間、30分から1時間おきに訪問していたとは認めることができず、看護師の訪問・観察は不十分であった。
ただし、看護師が午前4時30分に患者を観察した際には異状は認められなかったところ、容態が急変したのを確認したのはその30分後に過ぎないことから、上記の過失との因果関係までは認められない。
ポイント
裁判例のように看護師の訪問・観察が十分に行われていたかどうかが争点になった事案では、看護師が適切に患者を訪問・観察していたとしても、看護記録にその記載がなければ、裁判所はそのような訪問・観察を行っていた事実はなかったと認定する傾向にあります。
ただ、看護記録には記載はないものの、体温表に検温した記載が残っていたことから、その時間に看護師が訪問し、観察したとの事実があったことは認めております。このことから看護師がその時間に訪問したことの何らかの記載があれば、裁判所はその時間に看護師が訪問し、適切な処置を行ったと認定しやすくなるということです。
そこで、患者を訪問した際には、少なくとも看護記録には訪問した時間と事実だけでも記載を残すことが重要です。
⑷看護記録の事後的な訂正が問題になった事案(福岡地裁平成6年8月25日判決)
事案
分娩の際に逆子となっていることが判明したが経膣分娩を実施したところ、これにより発達遅延や知能障害及び右腕麻痺等の後遺障害が生じたことについて、原告が、本来であれば帝王切開を行うべきであったのにこれを行わなかった過失があると主張して損害賠償を求めた事案。
看護記録等の記載
助産記録には、当初、肢位について「不全足位」と記載されていたが、これが抹消されて「複臀位」と書き変えた跡が見られた。
病院側の主張
「不全足位」という記載は助産師の判断ミスによるものであり、実際に胎児の肢位は「複臀位」であったことから、その記載を事後的に訂正したものに過ぎない。
裁判所の判断
不全足位と診断した助産師の判断は当時の状況や当該助産師の経験に照らして信用できるものであるが、他方、これを訂正した医師及び助産師が上記助産師に断りなく訂正したこと等に照らしてその訂正内容は信用することができない。
そのため、分娩時の胎児の肢位は当初の助産記録のとおり「不全足位」であったと認められる。
ポイント
当然のことながら、看護記録の記載に誤りが生じることはあり得ることです。しかし、その際、当初の記載を抹消して記載の書き換えを行ったとすれば、裁判例のように訂正内容が信用されない可能性が高いといえます。また、記載の訂正を行う場合、訂正のタイミングが後になればなるほど訂正の信用性は下がっていくことになります。
そのため、看護記録等の訂正を行う場合には、可能な限り早く、隠蔽工作等と疑われないように適切に看護記録の記載の訂正を行うことが重要となります。具体的には,裁判例でも指摘されているように,最初の記載をした人物への確認や,訂正の理由や根拠の明記などが求められることになるでしょう。
4 看護記録の記載のポイント
①事実を正確に記載し、憶測に基づく記載を行わないこと
看護記録には時刻、所見等を正確に記載することが重要なのは言うまでもありません。特に緊急時の時刻の記載は正確に記載する必要があります。また、憶測に基づく記載を行うことはトラブルの元ですので、患者の訴えを客観的に記載するに留め、看護記録に不用意な記載を残すことはやめるべきでしょう。さらに、所見を記載する場合には存在する所見だけではなく、重要な所見のうち存在しない所見についても記載しておくことが重要といえます(例えば、圧痛(-)等)。
②実施した医療行為は漏れなく記載すること
訴訟では記載のない行為はないものと扱われる傾向がありますので、実施した訪問・観察は簡単で良いので必ず看護記録に残すことを習慣付けておくことが大切です。
③事後的な訂正を行う場合には早い段階で適切に実施すること
看護記録を含めた医療記録には誤りが生じることは当然にあり得ることです。その場合、事後的に早期に訂正する必要がありますが、記録の改ざんと疑われないように原記録を削除したりせず、訂正内容が分かるように適切に対処することが大切です。
以上
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