医療模擬裁判
事案
・50代男性 半年前に肺炎の既往あり
・食道がん 壁深達度T2
・術前の胸部CTの所見上,左肺に陰影あり
・内科医及び担当医において,執刀医に対し,胸腔鏡検査,HRCTを進言
・執刀医は検査のすることなくこれを炎症性変化と診断
・そのまま手術に踏み切り,食道切除自体は成功
・術後急変するが,執刀医は術後肺炎と診断し抗生剤の継続投与を指示
・患者は術後21日で死亡
病理解剖の結果
・術前においてみられた肺の影は,食道がんの転移巣
・術後急変は,肺炎ではなく癌性胸膜炎
・直接死因は,癌性リンパ管症
※ 病理解剖の現在の位置づけについて
取り上げた事案は,医療事故調査制度開始前のものであり,病理解剖について患者さんの意思にすべて委ねる姿勢となっている。しかし,現在は,予期できない医療関連死であると判断される限り,丁寧な説明の上,病理解剖の同意を積極的に求め,死因究明を含めた院内事故調査が行われることが予定されている。
事故発生から裁判に至るまで
① 遺族は病理解剖の結果を聞き,死因が事前の説明と異なることを知る
② 不信感を抱いた遺族は,弁護士に相談。
③ 患者側弁護士は,着手金目的で受任。
④ 証拠保全の申立てを行うが,準備不足で有利な証拠は得られず。
⑤ その後,奮起し,再度の証拠保全により,カルテや検査画像を得る。
⑥ カルテに改ざん痕がある等不審な点があったため,訴訟提起に踏み切る。
患者側請求のポイント
〔第一審〕
- 術前に発覚していた肺の影ついて,腹腔鏡検査ないしHRCTによる精密検査を行う義務があったのに,これをしなかった
- 術後の急変について癌性胸膜炎を疑う義務があったのに,これを肺炎と誤診して,抗生剤による治療を継続した
〔控訴審〕
- 執刀医は,食道癌に対する治療について,手術以外の治療法を説明して患者に治療選択の機会を与える義務があったのに,何ら説明をすることなく一方的に手術をするよう迫った
請求額(損害額)について
請求合計額 9000万円
予想される内訳
・死亡慰謝料(患者本人・慰謝料) 3000万円
・逸失利益(亡くならなければもらえたはずの収入) 5500万円
・葬儀費用 200万円
・その他,治療費等
口頭弁論期日→弁論準備期日
行われること
・訴状の陳述
・提出証拠の確認
・答弁書の擬制陳述
・次回期日の調整
・書面や証拠の提出
※準備書面(主張書面)の往復により争点を明確化。
明確になった争点について,証人尋問や鑑定を行う。
証拠の改ざん
紙カルテの改ざん
本件では,「転移の疑いか」→「転移の所見なし」
その他,呼吸数や患者の訴えについて削除,変更
電子カルテの改ざん
一般的には,削除部分には抹消線が引かれるだけで,そのまま元の記載が残る設定にしているため,通常改ざんは不可能。ただ,設定次第で改ざんは可能。
大阪地判H24.3.30判例タイムズ1379号167頁
電子カルテの「登録」ボタンの履歴から改ざんが認定された事例
証人尋問①
病理医に対する尋問
病理解剖の結果を述べた後,執刀医が術前において肺の影に気が付きながら検査を怠り,手術を行ったことは,注意義務違反であるとの意見を述べた。
証人尋問②
担当医に対する尋問
原告側弁護士は,カルテの改ざん部分を示すなどして,
- 術前精密検査の必要性を認識していたか
- 執刀医にそのことを進言したか
について追及。
But 担当医は,激しく動揺しながらも,カルテの改ざんをしていないこと肺の影について精密検査の必要はなかったことを強弁
鑑定人質問
CT所見上,肺の影を炎症性変化と診断することに何の問題もない。
術後の対応も,肺炎として治療を継続したことに落ち度があるとまではいえない。
- 通常,あまり開かれない。
- 追加の鑑定を依頼することもある。
- 裁判所の心証の拠り所となることが多い。
※ 注目されている鑑定方法
- 複数鑑定
- カンファレンス鑑定
本人尋問
執刀医に対する尋問
- 肺の影を炎症性変化と診断したことは合理的である
- 術後の急変も肺炎と判断することが落ち度であるとはいえない
遺族に対する尋問
- 手術同意書の場面で,肺の影のことに聞く余裕もなく,手術が必要という執刀医の言うとおりにするしかなかった
- 術後も直接診断してくれなかった
第一審判決-被告勝訴
術前において,左肺の影から転移を疑うのは困難
直接死因が癌性リンパ管症であることは病理解剖によって初めて明らかになった事実であるから,術後の対応について,結果論的に医師の責任を問うことは妥当でない。
臨床的判断が明らかに不合理ではなく,これについて責任を問うことは,医療への萎縮効果をもたらすもの
第一審で原告側が負けた理由
- 術前の診断について
肺の影の精密検査を受けることと早期の食道切除どちらを優先すべきか
→いずれの判断もあり得る
=落ち度を証明することはできない
- 術後の対応について
急変の原因を特定することができたとはいえず,抗生剤で対応したこと
自体に明らかな落ち度があるとはいえない
原告の争点設定のミス
控訴審判決-原告逆転勝訴
争点を再設定
説明義務違反による治療選択機会の喪失
→ 説明がなかったため手術を選択するしかなかった
→ 手術を選択していなければ延命が可能だった
→ より早く死亡してしまった��とについての損害を認定?
医療裁判はいかがでしたか?
- 医療資格を取得するまでに、法律を学ぶ機会がない
- 裁判を傍聴したことがない
- どのように進んでいくかわからない
- テレビのイメージしかない
このような方がほとんどだったのではないでしょうか。
大前提
医療安全=医療訴訟予防
訴訟(法律)を知らずして医療安全は成立しない。
なぜなら
患者さん側が,医療安全の不備を理由に文句やクレームを言ってくる場合,どのような手段に出てくるかを考えなければならない。
→ 法律を根拠にするしかない。
医療機関は、法律的に文句やクレームをつけられない体制を構築する必要がある。これが大原則・大前提となることを肝に免じてください。
とはいえ・・・
医療裁判に絶対に負けない方法はありません。
しかし,負ける確率を確実に減らす方法はあります。
医療機関が医療裁判で敗訴するということ日常の医療安全体制ができていなかった
医療機関には,医療裁判で負けないような医療安全体制を構築し,これを維持し続ける義務があるのです。
つまり…
裁判所が医療機関の医療安全体制に問題があったと評価
敗訴
医療安全体制をしっかりすればするほど、
医療裁判になる確率 DOWN
敗訴する確率 DOWN
たとえば…
安全運転をしていても、交通事故を起こすことは誰にもあるように、安全な医療体制を整えていても、一定数の不慮の事故は生じます。その場合には、その後の対応の適切さが求められます。
※多くの医療機関の顧問弁護士が,この対応方法を間違えています。その結果医療機関も対応方法を誤って訴訟にならないようなものまで、訴訟に移行してしまうという不幸な連鎖に至っている例をいくつもみてきました。
有事の際の対応方法も医療安全の一環です。
患者さん側の視点は?
多くの患者さんは、お金が欲しくて医療機関を訴えてくるわけではありません。お金が欲しいだけの患者さんは,弁護士に相談に行った段階で、弁護士費用で割りが合わないことを説明されて諦めるのが通常です。
※ただし、例外が少なくないのが昨今の問題ではあります。弁護士による二次被害は深刻です。
では、どのような患者さんが
医療機関を訴えてくるのか
患者さん側の思いは,
- 医療機関の医療安全体制に問題があり、身内や自分に起こった不幸な結果が、その問題が原因で生じたのではないか。
- 手術や手技によって不幸な結果が生じる危険性について,十分な説明を受けていたなら,同意なんてしなかったのに。
…というものがほとんど…「真実を知りたい」という思いです。
考えてみましょう。
そもそも、医療機関も患者さんも、ともにその患者さんの治療という共通の目的でスタートしたはずです。
では,なぜ対立してしまうのでしょう?
実は,その理由には,医療機関の顧問弁護士や、そのアドバイスを受けた医療機関の初期対応のまずさが起因していることが多いのです。
信頼関係を断ち切らない。
【初期対応】も医療安全体制の重要なポイント
手術や手技等、医療を受けている段階だけでなく、結果を受けた後まで、医療機関と患者さんが信頼関係でつながっていることが重要です。そうすると、医療裁判などという不毛な訴訟などなくなっていくのではないかと思います。
そのためにはどうしたらよいか。
医療機関側において、
【医療安全体制の構築=医療訴訟予防】
であるということを認識し,時間をかけて医療安全に取り組むことが肝要です。
医療安全体制が構築されている医療機関こそが【ブランド病院】であるという認識が大切です。
本題に戻りましょう。
今回、なぜ医療機関は負けたのだと思いますか?
以下の段階に分けてポイントを整理してみましょう。
- 日常の医療安全体制の段階
- いざ原因となった事件が起きた時の対応
- 不幸な結果を受けての初期対応
- 裁判までの対応
- 証人尋問の対応
①日常の医療安全体制の段階
- 弁護士による現場指導を受けていたか。
- 救急対応などについてのルール作りができていたか。
- 救急対応について訴訟になった事例などを弁護士により講習を受けていたか。
- 日常的にカルテ・看護記録のチェックを受けていたか。
- 医療安全委員会は機能していたか。
- すぐに弁護士に相談できる体制になっていたか。
※ これらを実践していれば、事故自体を防げたでしょう。
ちなみに…
もちろん、今回の事件は、きちんと医療機関側の弁護士がフォローしていれば、医療機関が負けることはありませんでした。
- 日常的に弁護士が医療機関に関わり、医療機関側に何かを起こさせない(常に色々聞ける体制を構築する)。
- もし何かが起こっても弁護士が初期対応をしっかりする。
- 初期対応でできる限りケアした後、裁判にならないよう弁護士が働く。
- 裁判になったとしても、しっかり関係スタッフから事情聴取し、証人尋問も念入りに打ち合せする。
②いざ原因となった事件が起きた時の対応
本件では,最終的に説明義務違反という主張により病院側が敗訴しています。一般的に,カルテや看護記録上,説明時の状況や説明内容について記録がとられていない場合には,裁判上も勝つことは困難です。
※その意味で,同意書があるだけでは何の意味もありません。
本件は,カルテに説明についての記録がない以上,落ち度を認め,説明会開催→謝罪→示談 の流れが妥当。迅速な対応により,示談額を相当程度抑えることができる。
③不幸な結果を受けての初期対応
きちんと経緯についてカルテ記載があれば、患者さん側に対する説明もそれを示しながらすることできます。他方、記載がなければ、説明会の直前に何かメモを作ることも考えられますが、いかにもアリバイ作りのような感じがして、医療機関と患者さんに疑われるきっかけを作ってしまうことになります。初期対応もしっかりと弁護士がフォローし、医療機関と患者さんとの信頼関係が破たんしないよう動くべきでしょう。
④裁判までの対応
病院側弁護士は,カルテの改ざんを指示していますが,メリットはほとんどないでしょう。一方,すぐに現場に足を運んでいる点は評価できます。百聞は一見に如かずです。医師の私ですら、すぐに現場にいって状況を把握するところから始めます。ましてや、医療機関での勤務経験も知識もない弁護士が法律事務所にいながらにしてきちんとした対応ができるはずもありません。
⑤証人尋問の準備
病院側の弁護士の尋問について,大きな落ち度はありません。
ポイント
《証人尋問》 当時の状況を臨場的に聞き出す
相手側証人に好き勝手しゃべらせない
《本人尋問》 記憶が問題になるときは,当時の精神状況を聞く
医療機関側の弁護士に求められること
医療について弁護士が素人なのは仕方ありません。
しかし、知ろうとすることはできるはずです。
弁護士は常に、医療機関に定期的に足を運ぶこと
医療機関において法律的なものの考え方が身近に感じられるようにすることに対する努力を怠ってはなりません。それができなければ顧問弁護士はそもそも不要です。何かあってから事後的に相談するのと変わりありません。
まとめ1
これまで見てきたように、医療関係者と弁護士とがしっかり共同して医療安全体制を整えてさえすれば、真実を!と訴えてくる患者さんも減ってきます。
そもそもよく考えてみてください。訴えたくて医療機関を受診する患者さんはいるはずがありません。信頼関係をつなぎとめることが重要なのです。
まとめ2
安心・安全な医療体制の構築は、医療機関のトラブル防止につながるだけでなく、患者さんに喜ばれる医療機関として地域で認知されることにもつながります。
是非とも、安心・安全な医療機関が増えていくことを願ってやみません。
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